にょろ子ログ

神社に伝わる伝承、伝説、民間信仰、祭りが好物な蛇🐍

菅原道真が子息、景行は父の骨を背負って歩きに歩いた。あゝ筑波の山の見える鳶翔けるこの地にしよう。

 

はい、にょろ子です🐍🎀
今度は「菅原道真」さんなのです、時代的にもツボ的にも、にょろ子には珍しい方面なのです。

菅原道真公」の「車を牛に引かせて、牛の行くままに任せ、牛の止まった所に葬ってくれ」という遺言に従って定められた墓所安楽寺(大宰府天満宮)は、有名な話しですが、住民が語り継ぐ「あの菅原道真公、天神様を最初に祀ったのは、おらがふる里、真壁の羽鳥だ!」との伝承と羽鳥日月坪の「天神塚」を知ってる人はあまりいないかもですね。

 

大生郷天満宮ホームページより

社伝によりますと、菅原道真公の三男景行(かげゆき)公は、父の安否を尋ね九州大宰府を訪れました時、道真公自ら自分の姿を描き与え

「われ死なば骨を背負うて諸国を遍歴せよ。自ら重うして動かざるあらば、地の勝景我意を得たるを知り、即ち墓を築くべし」

と言われ、延喜三年(九〇三)二月二十五日に亡くなられました。

景行公は、遺言どおり遺骨を奉持し、家臣数人と共に諸国を巡ること二十有余年が過ぎ、常陸介として常陸国にやってきました。
景行公は、延長四年(九二六)に、現在の真壁町羽鳥に塚を築き、この地方の豪族源護・平良兼等と共に遺骨を納め、一旦お祀りしましたが、三年後延長七年(九二九)当時、飯沼湖畔に浮かぶ島(現在地)を道真公が永遠にお鎮まりになる奥都城(墓)と定め、社殿を建て、弟等と共に羽鳥より遺骨を遷し、お祀りされたのが当天満宮です。
日本各地に道真公を祀る神社が一万余社あるといわれる中で、関東から東北にかけては 最古の天満宮といわれ、又遺骨を御神体とし、遺族によってお祀りされたのは当天満宮だけであることなどから日本三天神の一社に数えられ、御廟天神ともいわれています。

 

 

↓以前お参りした「大生郷天満宮」です。

現在は大生郷の天満宮ですが、当時は菅原村の菅原神社だった

鳥居は元の鎮座地「真壁」の方を向いて立っているそう。

御朱印です、

が、2014年9月参拝時のものです。

以前書きましたが、御朱印はご縁があった時だけ頂いてます。

御朱印は私の参拝目的ではありませんニョロ🐍

 

菅原道真公御廟所↓

(参拝した時の写真が見つからないので、こちらですみません)

https://g.co/kgs/fPBNbr

 

今回訪れたのは、大生郷に移される前に、三男(一説には二男)景行公により築かれた

真壁町羽鳥「天神塚古墳」です。

この「羽鳥」の郷は、機織りの郷だったようで、養蚕も盛んな土地で、

羽鳥道と呼ばれる山岳信仰の道もあったのだとか。

また、万葉の山、恋の丘のあった土地でもあったのです。


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墳頂には小祠があり、参道(上り階段?)入り口には「天神塚古墳」と書かれた木の標が立っているはずなのですが、まだ暑さの残るこの日は、夏草に覆われていて上ることも叶わずで、確認できませんでした。

 

塚に植えられている、目印のような木は桜の木、まわりは公が好きだった梅の木なのだそうです。春には筑波山を背景に、京の姫のような花を咲かせるのでしょう。


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大生郷天満宮、鳥居がこちらをむいているなら、こちらの祠は水海道(大生郷)方面の南西に向いているのだとか(真壁町の民話より)

※確かに祠の南西にあるけど、大生郷の鳥居が、羽鳥に向いてるようには見えなかった💦

昔は言い伝え通りだったのか、私が分からないだけなのか🐍💦

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右大臣という最高の地位にありながら、京を追われ九州太宰府に流され59歳で病没し、はるばる常陸国で葬られた(遺骨の一部だと思いますが)道長公に手を合わせる。

 

三男、景行によって、ここ羽鳥を墳域に定め、菅原天満宮とし、大きな境内に社殿も建てられていたそうですが、畑にするために大部分を削ってしまったとかで、ほんとに小さな塚が忘れ去られたようにポツンと残っています。

京都の北野天満宮より20年も前の、日本で一番古い、菅原道真公を祀ったところと言い伝えられている。

 

空には鳶も翔け、晴れている日には筑波山も間近に望めるここ、羽鳥には、

道真公は三年だけしか鎮まることはなかったのです。


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↓同じく菅原道真が三男、景行が創建した

大生郷天満宮別当寺院だった「安楽寺」です。

太宰府天満宮別当も「安楽寺」でしたね。

 

ニョロ子は、こう思うニョロ🐍🎀

タイトルは、歩きに歩いたと書きましたが、数々の馬場を持っていた将門様と交流があった景行さんなので、馬で移動していたかもですね🐴🐍

 

駿河国に左遷、その後配流が解かれ常陸国府次官として赴任、真壁町羽鳥まで来て墳墓を造り遺骨を納めたが、羽鳥が平良兼のテリトリーだったため飯沼湖畔の大生郷へ移した景行さん。

 

平将門の叔父の平良兼と交流があったり、将門様の弟君、平将平の学問の師とも伝わっている景行さん。

 

その終焉は謎らしいですが、小さな祠が向く先に、道真公の遺骨を収めた大生郷天満宮があるのなら…と妄想も広がるニョロ。

多分、父親譲りの頭脳明晰で、風流な一面をもった人だったのでしょうね。

今はこちらに遺骨はないけれど、にょろ子はここの方がなんか好きニョロ🐍🎀

 

肉親の手で初めて祀った地「天神塚」にお参りされてみてはいががですか?

そばの花咲くこの季節も良いと思います。

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天神信仰の成立 (日本における古代から中世への移行)

 

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