信太流れ海、浮島の悲しい姫の物語「恋をのみ信太の浮島浮き沈み、海女にも似たる神の浪かな」
はい、にょろ子です🐍🎀
佐竹氏に攻められて落城、湖に身を沈めた「小百合姫」の霊を祀った神社を参拝しました(他の伝説も紹介します)
かつて霞ヶ浦に浮かぶ島だった「浮島」に鎮座しています。
茨城県稲敷市浮島【姫宮神社】
御祭神︰息長帯姫命
姫の霊を祀っていますが、姫繋がりなのか
息長帯姫命です💦
明治45年6月に、龍崎神社を合祀していますので、扁額は「姫宮神社・龍崎神社」の併記となっています。
地図で見るとこんな感じで、この辺りの台地は浮島という島でした。
景行天皇行在所跡(浮島宮伝承地)も見えます
常陸国風土記・信太郡
「郡の北十里碓の井あり。古老の曰へらく、大足日子の天皇浮島の帳の宮に幸、水の供御無し。即ち卜者をして訪占遣め、所所之を穿る。今雄栗の村に存れり」
↓以前訪れた「碓井」の候補地
ここへ来たのは 常陸国風土記 信太郡の条「郡より北十里のところに碓氷がある。昔、景行天皇が浮島の帳の宮に行幸されたときに飲み水に困った。そこで占部をして占ひをさせて、井戸を掘らしめた」とある「碓井」の候補地がここのブクブク水と持ち書にあったから。
— はにわ(にょろ子🐍🎀) (@seimei421haniwa) March 4, 2018
今も土器や貝が普通に落ちてる。 pic.twitter.com/5F67X2mOpx
↓以前訪れた「景行天皇行在所跡」
尊はその命を果たし帰路途中の伊勢で病に倒れ亡くなります。
それを知った景行天皇は、追慕の念のあまり征途の跡を巡行され、
その途中でこの地(浮島)に張宮を営まれ30余日滞在し、祈りを捧げた。
この丘を張宮の跡として伝え、地名もお伊勢の台と敬称し今に至っている。
今日も少し常陸国風土記関連の場所を巡りました。
— はにわ(にょろ子🐍🎀) (@seimei421haniwa) March 4, 2018
【景行天皇行在所遺址】
文字通り霞ヶ浦に浮かんた島だった「浮島」地区、こんもりとした小山の上に石碑があります。
木が繁っていますがチラッと霞ヶ浦が挑める、浪逆の海から安是の湖を船で渡り遠く故郷を思ったのかな。 pic.twitter.com/8tx4Z98p1E
鳥居を過ぎると、台風の爪痕なのか、倒れた木の石段
登りきると、社殿が見えてきます
由緒1佐竹氏との戦い
元亀、天正年間この地に騒乱が起こり、
浮島城主浮島弾正は、佐竹氏との戦いに敗れ落城しました。
その時、弾正の子「小百合姫」は湖に身を沈め亡くなりました。
この姫の霊を弔うために姫宮神社が創建された。
もう一つの伝説、由緒2
「小百合姫ロマンス・水郷風土記 中村ときを著より」
保元の乱(1156)の際に崇徳上皇方に加わって捕らえられ浮島流刑となった、平安時代の公卿で歌人の藤原教長(のりなが)は、出家、投降して恭順の意を示したが許されず、常陸国信太浮島に配流された。
「日をへても過ぎし都の続きぞと、思う岸辺を今日ぞ離るる」
流人とは聞いても島の人々は関知しないところ、胸を開いて歓待してくれ
中でも島守は来客のようなもてなし方で、一人娘の小百合姫をかしずかせて、何くれとなく面倒を見させてやる。
野に咲いた百合のような姫は、食事はもちろん、洗濯、掃除、身の回りなど細かいところへ気がついて教長を世話してくれる。
権力の争奪にあけくれ、その争いに破れ配所の月を見る身の教長にとって、小百合姫の真心は、汚れた体を洗ってくれるような清涼なものだった。
素朴な田舎の娘の純情は、都の貴公子の心をとらえ、小百合姫もまた心から男になびき孤島に恋の花が咲き、やがて彼らは結ばれていった。
しかし楽しい愛の語らいも永久には続かなかった、都からの便りが教長の赦免をもたらしたからである。
「こうなったからには、私は永久にそなたとこの島に住み着く、そなたと共に…」
と言い続けていた教長も、一度赦免が出たとなると心は島を離れて都の空に飛んでいく。
「一度帰って、きっと島へもどってくるから…」といえば「お帰りになられたら、もうそれきりになるのでは…」かきくどく姫も慰め遂に都へもどっていった。
信じて待ったが、恋しい人は戻ってこなかった。
月日がたつにつれ姫の心は恋しさで狂いそうになる、暇があると高台に上って都の方だと教えられた南に向かって教長の名を呼び叫び、浮き沈みする胸を抱いて嘆き悲しんだ。
どんなに呼べど叫べど恋しい人はこの島に帰ってこない、ふらふらと高台を降り波に足を浸し深みに入っていった。
腰から胸へと海水が濡らしてきたが、姫の心は何も感じなかった、ただ一筋に教長に向かい、この湖を超えていけば愛する男のいる都へ行けるきになっていた。
やがてうねってきた高波が姫の頭から飲み込み、そして引いたあとには姫の姿はなくなっていた。
島守と島民は探し回ったが、波に漂う小袖だけをみつけ「袖が浦」と名付け
姫の霊を慰めるために、彼女が立ち尽くしていた台地に祠を設けて「姫宮神社」とした
「小百合姫」を祀る姫宮らしく、ピンク色の本殿が印象的で目に鮮やか。
と思ったけど、千木は外削ぎ、鰹木は三本で男神の仕様でした。
一般にですけど、千木が垂直に削ってある「外削ぎ」で「鰹木が奇数」なのが男神。
千木が水平に削ってある「内削ぎ」で「鰹木が偶数」なのが女神。
例外もあるし、本庁は、必ずしもそうとは限らないとしているそう。
現在の本殿は、明治45年6月に龍崎神社を合祀する際に、社殿を移して本殿としたもので、昭和6年の建立と伝わってるとか。
だから男千木なのかしらん?ニョロ🐍
にょろ子はこう思うニョロ🐍🎀
「小百合姫」で思い出すのは、私が古代好きになったきっかけ「銀の海、金の大地・氷室冴子さん」の登場人物の「小由流(さゆる)」
たしか東国のことばで小百合を表す名前の、一途で、心が強く、優しくて、でも危うい女の子。
小由流の母親が、訛りのある言葉で東国の昔語りをしてくれる
「湖の上を渡る風のように涼しげな声が好きだった」
この、霞ヶ浦を想定して書いただろう文章が
また素敵で、氷室冴子さんに哀悼の意を捧げたい。
結局「都の男は当てにならないわよ全く」
と言いたい。にょろ子私情🐍🎀
- 作者: 中村ときを
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