にょろ子ログ

神社に伝わる伝承、伝説、民間信仰、祭りが好物な蛇🐍

天津甕星香香背男VS武甕槌命! たかが物語、されど伝承ニョロ🐍

はい、にょろ子です🐍🎀

前回は霞ヶ浦、北浦、涸沼方面の武甕槌命様伝承の地を巡りましたが

今回は常北方面の足跡をたどってみました。

 

城里町上入野

鹿島神社

御祭神は、もちろん武甕槌命です。

↓以下常北町史より

社伝によれば、祭神が露出の木の根につまずかれたゆかりの現在地に、

大同二年(807)に「入野鹿島から遷祀」したと伝える。

文三年「開基帳」に「開基は大同二年に建立と申伝候」とある。

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現在の字図にある「鹿島前」「鹿島下」のあたりがもとの鎮座地と伝えられる。

その殆どが畑地で、土師器、須恵器の破片が出土する。


鹿島下、鹿島前付近の字地図

鹿島の下という地名なら「鹿島」は台地にあ

ったのだと想像f:id:nyorokolog:20191123165041j:image

以前お参りした、高台に鎮座している「鹿島神社」です。

 

位置的には「鹿島下」あたりで良い感じなのですが、元の鎮座地とは伝わっていないようですね。

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武甕槌命が木の根につまずいたのは、元の鎮座地「入野鹿島」なのか、こちらの鹿島神社なのか、どちらなのでしょうね。

神様が木の根っこにつまずいたからといって、祭祀が始まるというのも変な話ですよね。

これには意味があるようです、参考文を読みながら考えていきたいと思います。


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田舎にひっそりと鎮座する神社の参道は、

なぜこんなにも惹かれるのか。

たくさんの人が参拝される、有名な神社や、綺羅びやかで美しい神社も良いのですが、

鎮守の杜を抜け、神聖な領域に入るこの雰囲気は、やはり人気(ひとけ)のない田舎の神社の方がより一層強く感じることができると思います。
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境内由緒には書かれていませんが、

茨城県神社史にもこのように書かれている。

「往古武甕槌命、当地方鎮撫に当たられたとき、露出の木の根につまずかれたので「足を踏み込まれたゆかりの地を選んで、入野鹿島から遷祀したという」

木の根につまずいた=戦地に足を踏み込んだ第一歩ということらしいです。
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この地方に多い「合わせしめ縄」という形
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「ふるさとしずめ」より

太古、天津甕星、またの名を香香背男といふ悪伸の勢力範囲にあって暴威をほしいままにしていた。

天つ神の御委任をうけ平定の大任を帯びた武甕槌命、鳥磐樟船命(石船神)建葉槌命たちは西部に天降られ、慎重な空陸一体の作戦をねられて香香背男軍に向かったが、神出鬼没、極めて巧妙頑強で、大激戦が至るところに展開された。

 

このように「当地方鎮撫」の敵とは、天つ神でありながら、討伐される側となった

天津甕星香香背男」軍だったと伝えられているようです。

 

御本殿は青空に映える朱
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大同二年創建といえば、常陸国二ノ宮である「静神社(御祭神:建葉槌命天手力男命」の本宮との伝えが残る「笠の宮」も同じく大同二年の創建と伝わる。

現在は小坂神社に合祀。

↓小坂神社

建葉槌神は、天津甕星香香背男様を討った神。

 

↓風隼神社

武甕槌命が東夷討伐の際に立ち寄ったので、祠を建てて祀った。

そして香香背男様が大岩に変じたところを、建葉槌神に蹴られ飛び散った石を祀る神社でもある。

風隼神社の社伝によると、御祭神の(石船神社祭神)と武甕槌命と鳥磐櫲樟船命建葉槌命たちは 当地の西部に天降られ、甕星一族(香香背男様一族)と戦い、これを破ったとあるそう。

 

にょろ子は、こう思うニョロ🐍🎀

この地区だけで10社にも及ぶという鹿島神社と、

鹿島河原、鹿島下、鹿島前などの地名、

鹿島神宮遷宮用材の伐採地で、鹿島発祥の地とも伝わる事から

香香背男軍との激戦区というのもうなずけるニョロ。

付近には「金洗沢」「金山」と、鉱物の香りのする地名と、

あの三輪山型神婚譚(苧環型)の舞台の候補と伝わる「朝房山」(直線距離で4kmほど)もある超~魅力的地。

香香背男軍は、鉱物資源のあるこの地にも進出していた。

↓は香香背男大岩が飛び散った地と、関連する神社の場所。

勢力圏だったのかもしれない。
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そして、武甕槌神軍、建葉槌命神軍、鳥磐櫲樟船命軍の三軍が協力体制となり、香香背男さま達は東に追われ大甕神社(甕の原)で敗れたのではないだろうか。

まるで鹿島の神紋「三つ巴」のよう。

武甕槌命では討伐出来なくて、建葉槌命が派遣されたのだから、司令官的立場?

なんて妄想するのも楽しい。

ものすごい遺跡か、古文書でも出ない限り正解なんてないのだから。

たかが物語、されど伝承ニョロ。

 

物語や伝承を思い浮かべて参拝

悪神とされてしまった甕星香香背男様にも

思いを馳せるお参りとなりました🐍