鹿島大明神は、金の鷲に乗って奥州は塩釜から降り立ったニョロ〜??!🐍
はい、にょろ子です🐍🎀
またまた前回に引き続き、城里町の「鹿島さま」の伝承地でございます~
- お話の舞台となった神社の紹介
- 小坂神社のTwitter記事です
- まずは、神社由緒書です
- 『金の鷲に乗る神』
- 途中ですが、Twitter朝房山(風土記では晡時臥山、くれふし山)の記事です↓
- 藤内神社の記事もどうぞ↓
- 続き↓
- すいません、また続きを~
- この旧小松村の上入野「鹿島神社」は、先日ブログに書いてます
- にょろ子はこう思うニョロ🐍🎀
お話の舞台となった神社の紹介
【鹿島神社】
御祭神:武甕槌神
前に藤井川、後ろに古内山、そのむこうには常陸国二之宮「静神社」の本宮、元宮と伝わる「あの、笠の宮」を合祀した「小坂神社」が控える伝説の地に相応しい土地。
このあたりから牛伏(うしぶし)あたりまで、「フジ、フシ」は割とキーワード。
こちらもまた合わせてどうぞ↓
小坂神社のTwitter記事です
笠宮・飯野宮・熊野の三社が合祀し小坂神社となった神社で笠宮が静神社の本宮、元宮と云われてるのを知りこちらにも御挨拶に伺いました。御祭神は天手力雄命。鳥居は見当たらず正面に参道はありませんでした。【 城里町・小坂神社】 pic.twitter.com/eBcv3J7gle
— はにわ(にょろ子🐍🎀) (@seimei421haniwa) 2016年5月29日
[https://twitter.com/seimei421haniwa/
VS香香背男の「大激戦」が至るところに展開された。茨城県神社誌より適当に。
— はにわ(にょろ子🐍🎀) (@seimei421haniwa) 2017年6月14日
村社まで載ってるので購入した地図、鹿島神社が集中。小坂神社は常陸国二ノ宮の静神社の本宮とされ、元は笠宮と言い三社を合祀。神職が榊を持って就き祭を行ったとか。写真は日立市大甕神社、封印されし宿塊石。 pic.twitter.com/9PMG87H8Zn
まずは、神社由緒書です
国土統一を、諏訪の「建御名方神」を従神として成し遂げたと書かれています。
これはちょっと見たことない伝承で心躍り出しましたニョロ。
では「茨城の史跡と伝説」より、惹かれるお話をご紹介📖
『金の鷲に乗る神』
東茨城郡常北町は「朝房山」の北ろく一帯をしめ「和名抄」にいう「那賀郡鹿島郷」
の地にあたり、大字古内(ふるうち)は朝房山の古名「フジフシ」の名残と云われている。
「朝房山」は常陸国風土記に載るヌカヒコ、ヌカヒメのお話の舞台とされている(諸説あり)山です。
大好きなので勿論訪れています。
途中ですが、Twitter朝房山(風土記では晡時臥山、くれふし山)の記事です↓
「朝房山」201mの低い山。笠間市史では「常陸国風土記」新治郡の条「東は那賀の郡の堺なる大山…とある「大山」が朝房山(晡時臥山・くれふし山)一帯ではないかとありました。東茨城、西茨城両郡、現在でも水戸市、笠間市、常北町の境界の地、谷川健一氏は蛇神を境界、堺の神としています🐍① pic.twitter.com/Y1ySt1qGXa
— はにわ(にょろ子🐍🎀) (@seimei421haniwa) 2017年1月31日
「 朝房山(晡時臥山)②」
— はにわ(にょろ子🐍🎀) (@seimei421haniwa) 2017年1月31日
鳥居から10分ほど舗装されていない斜面を登ると「写真1」視界が開け、木立の中に「浅房山」と刻まれた石碑「常陸国風土記では臥山と名ずく 茨城国造筑波刀禰の後額田部連の子努賀直之祖努賀比咩の生める神胤を祀る」蛇の子(蛇神)を祀る小さな祠があります🐍 pic.twitter.com/Mk5HVGKXp7
朝房山の古名が「フジフシ」というのは、この本で初めてみかけました。
藤内神社の記事もどうぞ↓
【水戸市・式内 藤内神社①】
— はにわ(にょろ子🐍🎀) (@seimei421haniwa) 2017年2月17日
御祭神:経津主命
三輪山型蛇神説話の地🐍朝房山の峰に霊光が輝き藤内郷にとどまり 人々は社殿を建立し創祀。ご神木は境外の欅に絡まった藤の木、神池の畔にあります。藤は「蛇」を表すとも云われてます。経津主命ですが女神千木。朝房山はここでは経津主命の神山。 pic.twitter.com/txKw7rowQ2
続き↓
ここらのあたりを鹿島郷と名付けたわけは、二十年目ごとに造営する定めになっている
鹿島神宮修造の材木を伐りだす「宮材の山」だからだからである。
六国史の中の三代実録に「これより先、常陸国鹿島神宮司云う、鹿島大神宮六箇院
二十年間に一度修造を加ふ、所用材木五万余枝採造する宮材之山は那賀郡に在り
宮を去る二百余り、挽運の煩ひ多し」とあり五万余枝の宮材というのは栗材である。
鹿島は空気が多量の塩分を含んでいるので、栗材でないと二十年は保てない。
それで遠隔地であり、道も険悪であるが栗の木の多いこの地方が「宮材の山」に選ばれたわけである。
だがそれだけでなく「鹿島大明神は奥州塩釜から『金の鷲』に乗って初めて常陸の国に来られたが、その天降られた地が『常陸国中郡古内山』であるというのである。
拝殿後ろの御本殿の裏が古内山(ふるうちやま)になるとおもいます。
こちらになぜか、奥州塩釜から鹿島の神が金の鷲に乗って降り立ったんですね~
鹿島大明神と書かれているだけで、武甕槌神とはされていないところに注意かも。
おお~ここに~。
なんて思うと参拝のあとの境内散策がより一層楽しくなるニョロ
みなさんも、伝承を調べてから神社にお参りしてみてみて~♪
え~💦
すいません、また続きを~
この伝承は僧円禎が延文三年に編んだ「安居院神道集」の中に「鹿島大明神は天津児屋根命金鷲に駕して常陸国へ天降りつつ古内山の旧跡の里に顕る」とか「其後国中を廻り、鹿島郡宮処に御在所を定む」とか、鹿島大明神と天津児屋根命とまぜこぜにしながら書き留めている。
隣の城北町(旧小松村上入野)の鎮守鹿島神社の神庭三十世歩の間には、一本の木の根もないのは、昔、鹿島の神がここにこられた際、木の根につまずいてお転びになった。
神様はご機嫌はなはだ斜めで、其のあたりの木の根をことごとく土中深く踏み込んでしまわれた。
それからは一つの木の根すらも生えないというのである。
この旧小松村の上入野「鹿島神社」は、先日ブログに書いてます
よろしければ見てください。↓
踏み込んでしまわれた→戦いに踏み込んだ地→敵陣への第一歩なのだという。
この木の根の神社は、旧小松村からの遷祀ということも、この本で知りました。
「茨城の史跡と伝承」では、このあと、
アイヌの祖先は金鷲に乗って北方から来たと信じていることから、
武甕槌命は、夷族の金鷲伝承を利用し同じ神(カムイ)だと巧みに利用したのではないかと書いています。
昔の地図に「上入野の小松村」は確かにある
八坂神社か、または小松寺のあたりもあるかもですね。
にょろ子はこう思うニョロ🐍🎀
参拝と神々の物語へ思い馳せたあと、鳥居の内側、聖から俗の風景を見る。
必ずそうするのは、もちろんその舞台を見る為でもあるけど…
神と人と、土地の物語が大好物な蛇だからなのです。
人の住む野と、神の領域と、山と川を見て肌で感じ
風や植物、動物の囁きを聞いてみたりしてるニョロ。
今回は、ネットに載ってるようなメジャーな伝承地ではない、ちょっとマニアックな鹿島神の足跡を辿る聖地巡礼となりましたが、とりあえずは今回で終わりです。
とりあえずは🐍
常陸国の伝説の地を巡っていれば、またなにかの欠片を見つけられるかも🐍