「西の沖ノ島、東の浮島」鹿島・香取神宮は、古代の内海に浮かぶ神聖な島「浮島」があったからこそ造られたってほんとニョロ🐍?
はい、にょろ子です🐍🎀
今回は、稲敷市「浮島」探訪の続きです。
- 【尾島神社】
- またFlood Mapsによる、古代の海面を想像。
- ↓大杉神社の記事です、暇な時にでも読んでください🐍
- 境内社↓
- 「常陸国風土記をゆく・柴田弘武著」
- 姫宮神社の記事です↓
- 「常陸国風土記の世界・茂木雅博」では、
- にょろ子はこう思うニョロ🐍🎀
【尾島神社】
御祭神︰大名持乃命(おおなもちのみこと)
配祀神︰素戔嗚命、蛭子大神、市杵島姫命、五十猛命、建御名方命、加具土命、保食神、羽黒神社、天照大神、木花開耶姫、宇迦之御魂神
常陸風土記信太郡「乗浜の里の東に浮島の村あり、居める百姓塩を焼きて業となす、九つの社あり、言も行も謹めり」
九つの社のうちの一社ではないかと云われている神社。
古墳時代の竪穴式住居跡や掘立柱建築跡、工房跡と土壙を伴い、祭祀用土器と祭祀用石製品が焼け土とともに出土。
裏には住吉造りの建物を想定するような柱穴が沢山ある総柱の跡や、大量の祭祀遺物まで見つかってるところなんです。
尾島祭祀遺跡からは、鋤、剣、玉、鏡などが出土、海上交通を妨害する神への捧げ物で、筑波山(磐座)を「奥津宮」、浮島を「中津宮」、鹿島・香取を「辺津宮」とする、宗像神のような航海安全を祈願する磐座信仰が源流ではないかと、以前受講した講座「筑波山信仰の源流をさぐる・塩谷修氏」で話していました。
タダの(もしくは安い)講座はどんどん受講した方がいいニョロよ〜。
私もそんなには参加出来てないけど🐍⤵︎
「尾嶌宮」の文字が印象的
周囲には、尾島貝塚、5、6世紀の祭祀遺跡などがあって、人々は言動を慎しんでいると書かれている、島全体が神の島で神聖な場所だったようです。
大杉神社からは、こんな感じに見えてたのね。
阿波の「大杉神社之景」
―アンバ大杉信仰より―
←が多分ですけど「尾島社」
尾島神社は、ほんと細長い浮島の尾っぽの部分に鎮座してる。
またFlood Mapsによる、古代の海面を想像。
今の地図↓
↓大杉神社の記事です、暇な時にでも読んでください🐍
境内社↓
好きな感じの境内なのですが、とにかく蚊が多い💦
「常陸国風土記をゆく・柴田弘武著」
より引用
縄文時代から土器製塩が行われていたことが前浦遺跡等により証明されている。
また東西約3km、幅約600mくらいしかない小さな島にもかかわらず古墳もかなり存在する。
なかでも原1号墳は自然地形を削り取って前方後方墳をつくったもので、全長32m(一説には29.5)ある。4世紀中(一説には5世紀初頭)という県下でも最古級の古墳であり、副葬品に鉄製品と多数の玉類が収められていて(ガラス製小玉、ガラス製管玉、鉄剣、小剣、鉄槍、鎌、ヤリガンナ、斧、鑿、針など)被葬者はいかなる人出あったか興味をそそられる(出雲系のものといわれている)
この島に15戸(1戸30人として450人位と推定)の家があり、塩焼を生業としている。この頃の製塩は縄文時代の土器製塩とは違って、もう少し効率のよい藻塩焼きであった(板来村の条には「塩を焼く藻」とある)その製法は藻を乾燥させて塩の結晶を付着させ、それを海水で流し落として下で受けるという過程をくり返し、塩度の高い濃縮海水をつくり、煎熬して塩にしたのであろうと考えられている。
生業というからには、彼らはそれを他に供給する為に行っていた事が想定される。
現在浮島には東南低地部に尾島神社(857~859)創建と伝わる、中央に秋葉神社、西南台地に姫宮神社があるが当時からのものか分からない。おそらく現在の神社形式ではなく、もっと素朴な祭祀場であったと思われる。
※()内の一説には、は他書からの情報です
製塩の遺跡で日本一古いのが霞ヶ浦のこの辺りなんですね、凄いニョロ🐍
姫宮神社の記事です↓
小百合姫の伝説がメインですが。
「常陸国風土記の世界・茂木雅博」では、
浮島の祭祀があったからこそ、後に鹿島、香取神宮が出来上がった「浮島があったから造られた」
極端な言い方をすると「西の沖ノ島、東の浮島」と言ってもいいほど重要な島で、農業祭祀では考えられない興味深い遺物が出土している、奈良時代から100年~150年古い祭祀遺物が4か所から見つかっていると書いています。
3角の右点が「鹿島神宮」左点が「香取神宮」左辺に「尾島神社」頂点に「筑波山」
位置的にはこんな感じです〜
だからなんだと言うことでもないのですけど〜。元鹿島と呼ばれる「大生神社」とかあるけど、ここは深く考えない考えないことにするニョロ🐍
にょろ子はこう思うニョロ🐍🎀
古代の内海に浮かぶ島だった浮島は、朝廷にとっても東国開拓、その先の陸奥国進出に向けての重要な土地であった一方で、未開の土地(未知の神)への境界の地でもあった。
だからこそ、政(まつりごと)と共に゙祀り事゙も重要だったのだと思う。
尾島神社(大名持乃命)の対岸にあった、大杉神社(倭大物主櫛玉大神)の原初的信仰も、航海安全の神への信仰なので、なにか繋がりがあったのかも知れませんね。
沖ノ島が「お言わすの島」と呼ばれていた、浮島も「言も行も謹めり」と書かれている航海安全と武運を祈願する、神聖な神祀り島だった土地、もっと注目されてもいい気がしますニョロ。
今は浮いてはいないけど、古代の風景を思い浮かべられる程には、その景色はとどめていると思います。古代妄想に浸りたい方は是非行って見てニョロ🐍