2019・タバンカ祭り「白裝束の炎舞」
こんにちは、にょろ子です🐍🎀
初ブログの時に紹介しました、
大宝八幡宮「タバンカ祭り」今度は今年のを紹介
祭りのおこりは、大宝院別当坊「賢了院」が出火した時に、畳と鍋蓋で火を消し止めた故事からで、畳を叩きつける時の「バタン!バタン!」という音がする事から「タバンカ祭り」と呼ばれるようになったとか。
毎年9月12日と14日の夜に行われていますが、来年からは九月の第一土曜、一夜のみになりますお間違えなく🐍
今年は12日の木曜日の昼と夜にお邪魔しました。
昼の様子
【大宝八幡宮】
白鳳時代の末期、文武天皇の大宝元年(701)に「藤原時忠」が、常陸国河内郡へ下向の時、筑紫(大分県宇佐市)の宇佐八幡宮を勧請し創建されたと伝わる、関東最古の八幡宮なのだそうです。
大宝は年号に由来すると書かれていました。
ここでこの「藤原時忠」なのですが、藤原氏の系譜には見えない御名前で謎のお方なのです。
「時忠」で調べると「染屋時忠」中臣鎌足の玄孫で、関東八カ国の総追捕使で鎌倉に居住して東夷を鎮めた方が上がるのですが、姓は漆部氏なのですね。
大国主命と少彦名命は、本社が創建される前に当地の地主の神として祀られていた神で、今は社殿東の「黒鳥神社」にお祀りされております。
大宝八幡宮は常陸国風土記に載る幻の湖「鳥羽の淡海」に囲まれた台地に鎮座していて、このあたりは「大宝沼」に突き出した三方を断崖に面した要害の地で「大宝城」が築かれていました。
「大宝八幡宮之景」
お土産、お食事の門前のお店「えびす屋」さんに飾られています。
三の鳥居、二の鳥居、一の鳥居の順だったようです、昔は屋根がたくさん連なってたんですね。
こちらの「厄除け団子」は柔らかくて最高に美味しいです、来られた際は是非買ってくださいニョロ🐍
長くなってしまうので、いい加減に
「タバンカ祭り」を…
この祭は別名「冬瓜まつり」とも呼ばれるように冬瓜を神前に供えます、祝詞奏上の後、御神前に巴型に並べられた畳、鍋ぶたの上の土器(かわらけ)に御飯と冬瓜が盛ってあるそう。
玉串拝礼の後、八幡太鼓の音に乗って祭の所役である白装束の氏子高校生男子、7名が畳に乗った鍋ぶた、土器を持ち拝殿から出てきました。
その直後、なんの予告もなしに拝殿前にほうり投げる。カワラケを拾った人は病気をしないといわれて居るので、今年もちゃっかり拾いましたニョロ🐍
拝殿前に備えられた二本の大松明に火を付け、燃え盛る炎をものともせず男子高校生は参道を隋神門の方へ進みます。
この時も、八幡太鼓が鳴り響き厳かな雰囲気を醸し出していました。
隋神門前まで来ると、さっそくほかの松明に火を移し、見物客の前を二本の松明を振り、走り回ります。この間、畳を叩きつけているので、ずっとバタン!バタン!という音が響いてます。
合間に鍋蓋コロコロ〜。
鍋蓋でほんとに火を消し止めたのですかね?💦
ほとんどが、近所の人なので皆顔なじみ、通学班で一緒に登校した子達を見つけると、近くで松明を振っては歓声を上げさせ、喜ばせていました。
火の粉を浴びると、災いを退けると云われているんです。
3回ほど繰り返されますが、年少の子供達の「度胸試し」も見ものですよ、何回も飛びに来る子、ドキドキしながらやっとチャレンジしに来る子。
それでもこの子達も、高校生になったら、あのかっこいい白装束の所役になるのね。
にょろ子はこう思うニョロ🐍🎀
今でこそ「タバンカ祭り」は、奇祭、火祭りと注目されていますが
「大宝まち、で〜ほーまぢ」と呼ばれ、サーカスまで来ていた賑やかな頃に比べ、下火になっていた時期もあったそう。
こちらのお祭りは、氏子さん達も一生懸命で、いつ来ても和やかな雰囲気なところがほっこりしますが、
来年からは、第一土曜日だけの一夜だけの斎行になるそうです。
普段は学校で目立たない、おとなしめの男の子が、祭りの時だけはカッコよく見えて、
学校での見る目も変わったのを思い出すニョロ🐍
地元に伝わる祭りは、少子高齢化もあって存続が難しいものもあります。
女の子に見直して貰えるかもなので、白装束に(祭りの演者側)になってみませんか?きっと素敵になれますよニョロ🐍
【中古】ニッポンの奇祭 / 小林紀晴
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