むかしむかし鹿島神宮の社殿は「栗の木」をつかっていた
こんばんは、にょろ子です🐍🎀
今年三度目の「栗ごはん」を炊いて、会社のお弁当にも持ってきいました。
「だし」は液体だしの「丸ごと根だし」を使いました、炊飯器に適量、塩をお好みの量入れてスイッチオンでホクホク美味しい「栗ご飯」の出来上がりです。
我が家の庭には「みかん」「杏(あんず)」「タラの木」「梅の木」「桜」「モンキーバナナ」「コブシ」「蝋梅」あと「栗の木」etc.....があるのです。
なので栗ご飯、栗の甘露煮、タラの芽の天ぷら、梅干しが原料代がかからずに作れます。
みんな羨ましがるけど、毛虫とか虫が多くてそこがいや(><)
栗は縄文の昔から食料や、木材として利用されてきたんですね。
成長が早、毎年ちゃんと実をつける、栗の木は腐りにくく割りやすいので、加工がしやすかったみたいです🌰
突然「茨城の史跡と伝説」より引用
東茨城郡常北町(旧西郷村)は朝房山の北麓一帯をしめ、和名抄にいう那賀郡鹿島郷の地に当たり、大字古内は朝房山の古名フジフジの名残りといわれている。
ここらあたりを鹿島郷と名付けたわけは、二十年目ごとに造営する定めになっている鹿島神宮修造の材木を伐り出す。
”宮材之山”であるからである。六国史の中に三代実録貞観八年正月の条下に
「是より先、常陸国鹿島神宮司云ふ、鹿島大神宮惣六箇院、二十年間に一度修造を加ふ、所用材木五万余枝採造する宮材之山は那賀郡に在り、宮を去る二百余里(六町一里)行路険峻、挽運の煩ひ多し」とあり、五万余枝の宮材というのは栗材である。
鹿島は空気が多量の塩分を含んでいるので、栗材でないと二十年は保てない。
それで遠隔地であり、道も険悪であるが、栗の木が多いこの地方が、”宮材之山”に選ばれたわけである。
とあります、常陸国一宮「鹿島神宮」の社殿には栗の木が使われていた時代があったんです。
鹿島の里(鹿島郷)と呼ばれていたあたりは、現在の「城里町」上古内あたりだとされています。
「鹿島大明神は、奥州塩釜から金の鷲に乗って初めて常陸国へきて、その天降った地が「古内山」と伝えられている。
後日、この古内山の鹿島神社をたずねたいと思っています。
「鹿島の郷」と呼ばれていただけあって、鹿島神社が多い土地でした、以下は以前参拝した、近辺の「鹿島神社」です。
【城里町・鹿島神社(増井)①】
— はにわ(にょろ子🐍🎀) (@seimei421haniwa) June 18, 2017
祭神︰武甕槌命
常陸国七井の一つ「増井」があった所なのだとか。https://t.co/KnWJ1BinPl←龍学さんより(勝手に参考すみません💧図書館でも分からなくて💧)御本殿屋根に鬼は時々お見かけしますが赤鬼さん、青鬼さんペアは初めて👹 pic.twitter.com/hXhiVmS9nm
【城里町・鹿島神社②】
— はにわ(にょろ子🐍🎀) (@seimei421haniwa) June 18, 2017
神社の東に増井古墳、横穴式石室の壁に「大」の形の線刻があるとか。
いかにも村の鎮守様といった漢字ですが木彫り狛さんがとても凄い可愛い੯ू•ू ໒
彫刻も良いし 妄想ネタもいろいろあって楽しい神社でした。後ろは虎でしょうか? pic.twitter.com/iLWzSoNZKj
城里町・村社 鹿島神社
— はにわ(にょろ子🐍🎀) (@seimei421haniwa) June 14, 2017
武甕槌命、鳥磐櫲樟船命、建葉槌命がこの西部に天降り甕星族を甕の原へと追撃全滅させ、勇武を讃へ武甕槌命を鎮斎した社が十社に及ぶ鹿島発祥の地だとか。鹿島神社だらけで もうどこのだったか分からない。草ぼうぼうでしたが茨城の神社でよく見かける竹筒もあったりでホッ。 pic.twitter.com/LazRuJziLP
城里町、鹿島神社?(💦)
— はにわ(にょろ子🐍🎀) (@seimei421haniwa) June 14, 2017
通りかかった赤鳥居、どうにも登らずにはいられない坂を見つけ 寄り道参拝ฅ
上は小ざっぱり、一番左の石塔は二十三夜様。衝動にかられたら 心のままにお参り(*˙︶˙*)☆*°
小さ過ぎるお社も気にせずUP。本当は少し気にする、けど私が好きなので💦 pic.twitter.com/8zzyMTWcdz
では、ではニョロ🐍🎀