にょろ子ログ

神社に伝わる伝承、伝説、民間信仰、祭りが好物な蛇🐍

「あんば大杉神社」から「天狗👺になった常陸坊海尊」に繋げるニョロ🐍

はい、にょろ子です🐍🎀

今日は、先日参拝した茨城県稲敷市、大杉神社を写真を載せながら、つらつら書きたいと思います🐍ニョロ。

 

 

稲敷市・阿波【大杉神社】

主祭神︰倭大物主櫛甕玉大神(やまとのおおものぬしくしみかたまのおおかみ)
配祀神大己貴大神(おおなむちのおおかみ)
               小彦名大神(すくなひこなのおおかみ)


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「大杉神社略縁起」

僧の勝道上人が下野国日光への道中、当地を訪れ巨杉を神籬として三輪明神(大神神社)を鎮斎し、人々を数々の奇跡で救済したことから「悪魔ばらえのあんばさま」と信仰されるようになった。創建は767年。

三輪明神さまとは、あの有名な奈良の大神神社ですね。

勝道上人は、ご存知のように奈良時代から平安時代初期にかけての僧で日光山を開山された方です。


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正徳年間の造営の時、既に社殿群は「あんば日光」の異名を持つ絢爛豪華な造りだったそう。

今は「茨城の日光東照宮」とも言われ「あんば参れば、日光見るに及ばず」とうたわれました。


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「以下、大杉神社ホームページより引用」

宝暦年間に存在した社殿群は当時の記録から本殿、拝殿、唐門を5つ取り付けたとみられる透塀をともなった社殿のほかに、神楽殿、神輿舎、回廊、楼門、唐門、総門、土蔵六棟などがみられます。また安穏寺関連の建造物としては他に弥勒堂、護摩堂、仁王門等も存在したことが知られてます。中でも楼門は麒麟門と称されていたようで、日光の陽明門を彷彿させる威容を誇っていたとされております。
 平成22年3月27日、二階建ての楼門「麒麟門」が完成します。本殿、幣殿、拝殿を繋ぐ県内最大の複合社殿への正面入り口として、約280年ぶりに再建。「麒麟門」は当時の文献から櫻井瀬左衛門を棟梁に、嶋村円鉄が彫刻を担当した豪奢な門であったことがわかり、これにならって麒麟、飛竜、獏、獅子など檜や楠材を使った200体以上の彩色豊かな彫刻が施されました。

 

 

正直に言うと、にょろ子はキラッキラの派手っ派手は目がチカチカして成金っぽいイメージで苦手ニョロ🐍💦

でも、昔から豪華な社殿だったんですね、歴史をちゃんと知れば好きになれるニョロ🐍


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鳥居に向かって右側にいらっしゃるのが「カラス天狗(かない天狗)」左側が「鼻高天狗(ねがい天狗)」

神社ではもともと、カラス天狗を御眷属として崇めてきましたが、文治年間に鼻高天狗がやってきて数々の奇跡を起こして人々を救ったことから、カラス天狗と鼻高天狗を陰陽一対として祀るようになったのだとか。

人々を救ったとされる「鼻高天狗」様が、次のブログ更新で紹介する予定の「常陸海尊」なのだそう。

海尊の容貌は、巨体、紫髭、碧眼、高鼻👺

羽団扇の紋が輝いてる
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「阿波(あんば)」の地

「以下はWikipediaより」

常陸国風土記』には、阿波の一帯を示すと考えられる地名として、信太郡の条に「乗濱」行方郡の条に「安婆之嶋」が登場する。

 

神社ウェブサイトの「大杉神社の歴史」によれば「あんば」の地は律令制以前の国造制下において菟上之国(海上国)に属し、「大杉神社は菟上国造を祀るもっとも重要な神社」だったという。

 

上古、阿波が属する台地は「信太流海」(霞ヶ浦の西浦)と「榎浦流海」(利根川流域の低地部に広がっていた内海)に突き出た半島で、その北東部に離れて「浮島」があった。阿波は阿波崎と須賀津に囲まれた内湾(霞ヶ浦の甘田入)の奥部に位置していた。この地にある巨杉が、漁民の守護神として信仰されるとともに、内海(香取内海又は常総内海)の航路標識になっていたという。

 

常陸国風土記行方郡の条にある建借間命の国見の記述に登場する。建借間命は「安婆之島」に宿営して、遙か海東の浦に烟を見つけ、天人の烟ならば我が上を覆え、荒賊の烟ならば海中に靡けと誓約をしたところ、海を射して流れたので凶賊(国栖)がいることを知った。―引用終わり―

 

 


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現在の利根川霞ヶ浦一帯がまだ広大な入り海だった時代「あんば」と呼ばれたこの地は半島状に突き出たところだった。

平安時代の初め、神社に別当寺の「安穏寺」が開かれ、神仏習合し一体となった祭祀が始まる。

↓「常陽藝文2019、8月号より」

 

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古事記で「天穂日(アメノホヒ)命の子、建比良鳥命(タケヒラトリノミコト)は、出雲国造、无邪志国造、上莵上国造、下莵上国造、伊自牟国造、津島縣直、遠江国造等の祖」

とあり、出雲国造と同系で出雲系なのですかね。

 

「稲荷神社」
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稲荷神社は、最勝立身出世稲荷神社ともいわれています。が、今回の参拝では台風の爪痕なのか、大きな木が倒れていて「立ち入り禁止」となっていて参拝叶わぬでした⤵︎

 

勝馬神社も稲荷神社の先に鎮座されている為、望遠で失礼させていただきました。

 

「大杉神社ホームページより引用」

縁起によれば貞観四年(862)信太の馬牧(現在の茨城県稲敷郡美浦村信太付近にあったとされる朝廷の官牧)の中に馬櫪社(ばれきしゃ)と呼称された馬体を守護する神社が存在しておりました。その後馬櫪社は稲敷市幸田に遷され、さらに大杉神社の境内に遷されました。昭和初期までは大杉神社の馬場で毎年4月8日に競馬が開催され、100頭の馬たちが出走しておりました。
現在は日本中央競馬会JRA)の美浦トレーニングセンターが近くにあることもあり、騎手、調教師、馬主等の競馬関係者をはじめ競馬ファンの参拝者が訪れる。


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大杉神社は「疱瘡除け」疫病除けの神でもある、江戸中期にその信仰は拡大し、航海安全の信仰もあった為、利根川荒川水系の船運業者や太平洋沿岸の漁民からも信仰されていたのだという。

 

最後に癒しのにゃんこ画を

大杉神社にはこんな感じで、にゃんこがたくさんいます。にょろ子も大好きニョロ🐍♪
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という事で、にょろ子はこう思うニョロ🐍🎀

「あんば」という地名は遥か古代からあった、当時は社殿なんかはなくて、大きな杉の木に神の降臨を見て、航海安全を祈りお祀りしていた。

その後は常陸国編入し、信太の流れ海としての海域に、香取の舵取り(航海安全)と、疫病を防ぐ信仰となり、常陸海尊の天狗伝説も加わり「航海安全」「疫病除けのあんば信仰、大杉信仰」となったのではないかニョロ🐍

派手派手な社殿に引き気味にならないで、土地の歴史と物語を見て欲しいニョロ🐍

 

毎日ブログを更新してる人って、ほんと凄いですね💦にょろ子は無理💦