にょろ子ログ

神社に伝わる伝承、伝説、民間信仰、祭りが好物な蛇🐍

「天気の子」人柱になった人々を思う

こんばんは、にょろ子ですニョロ🐍🎀

にょろ子も映画「天気の子」を見ましたニョロ

陽菜は天気の巫女で
天気を操り、晴れにする「晴れ女」その代償は
「人柱」となって消える運命。
その運命を変えるために帆高は·····。
というストーリーでしたね。

ここでその「人柱」とは…

河川、池、沼などの堤防、お城、橋、城など大規模な工事で労力を必要とする時に、自然災害(大雨、洪水、土砂崩れ)などで破壊されないよう、工事が無事に終わるようにと、土地の人々が皆で相談したり、神託を受けたりして、神に捧げる生贄(人身御供)を決め、白羽の矢が立てられた人は、生きたまま川や沼、池に投げ込まれたり、洪水を防ぐために水に沈められたり、地盤を強固なものにするために、土中に生き埋めにされたりする風習。


にょろ子は、この「人柱」や「人身御供」「生贄」に前から興味がありまして、伝承の地を尋ねたりしていました。
今日はそのうちの三ヶ所と、常陸太田市史から一ヶ所を紹介します。

常総市安楽寺境内(お伽羅の供養塔)】

昔、幾日も雨が続き鬼怒川が増水しそうになったので「人柱」を立てることになりました。
村の人々は巡礼の途中で母をなくし、天涯孤独となったお伽羅を「人柱」に選び、水の中に投げ込んでしまいました。
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その後雨は止み、村は助かりましたが、川から泣き声が聞こえたり疫病が流行ったりしたことから人々は安楽寺に供養塔を建て、お伽羅の霊を慰めました。
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自然の猛威を神の御業と思っていた時代の悲しい伝説、越後から はるばる この地に辿り着き、「人柱」となった娘はどんな思いで今の世をを見てるのでしょうか。

阿見町・弁天の祠】

ある年の大水で村人たちが困っていると、巡礼の娘が水を引かせる為に、自ら「人柱」となること願い出て、堤を築く難工事が無事に完了した。
実は娘は実は弁天の化身だった。
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書いてある通り、ここは清明川がほぼ直角に流れ霞ヶ浦に注いでる土地。
池ノ辺の古名が示す通り、むかしは大きな池があり、通過の難所で大雨が降っては たびたび洪水を起こすところだったようです。
自ら「人柱」となった伝承は他にも見た事がありますが、村人達の自責の念みたいなものを感じます。

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今は田んぼの中にぽつんと弁天の祠、静かに手を合わせました。

大宝八幡宮・ひとつもの神事】

むかしむかし大宝沼に大きな白蛇が住んでいました。秋になると、白蛇が大宝近郊の家の屋根に白羽の矢を立てます。するとその家では、娘を白蛇に差し出さなければなりません。差し出さなければ、白蛇の怒りにふれ、大嵐大洪水が起こり、農作物が穫れなくなります。そこで、近郊の人々が集まって考えた末「一つ目のわら人形」を作って白蛇に差し出す事にしました。それを見た白蛇は、恐ろしがって大宝沼から逃げ出しました。その後村々は豊かな稔りが続き、人身御供は無くなりました。

大宝沼は田園と住宅へと姿を変え、大宝沼のあった所に流れている「糸繰川」に「一つ目の藁人形」を流しています。
大宝八幡宮の「ひとつもの神事」
一つ目の藁人形、今は糸繰り川へ流す↓
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万葉集にも歌われた鳥羽の淡海とは 今は無き湖で、大宝沼、小貝川、鬼怒川と大きな湖沼と湿地帯を形成していました。
そのためたびたび洪水がおこり、龍神、水神への信仰が盛んになったのだと思います🐍

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常陸太田市・天神林(鶴ヶ池)⠀】

この地は度々堤が決壊するので、村人は相談して「人柱」を埋めることにした。おりよく旅の「お鶴」というものが通りかかったのでその者を「人柱」にした。そこで「鶴ヶ池」という名がついたと伝えられている。その後はどんなに洪水がおきてもこの池の堤は壊れることがなかったといわれている。
また、このあたりは魚、蛙などがたくさんいて、江戸時代はじめころのこと、この池のあたりに孝行者がいた、
当時、鶴の捕獲は禁じられていたがこの孝行者は鶴を捕らえて病気の親にその生き血を与えた。
当然、本人はもちろん家族や親類縁者まで処罰を受けるところだったが、義公はその者の親孝行に感じて許してやったと言われている。常陸太田市史よりー


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↑佐竹寺
15年前に稲村神社や、佐竹寺にお参りした際、神社向こうの田園地帯が、常陸国風土記に載る「堤を造りて池をつくりき」じゃないかと気になったもので、次の日に常陸太田市役所に電話してしまった。
確かにそのあたりに池があったようですとおっしゃっていた。あのときは突然変なことを聞いてすみません🐍💦
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↑稲村神社
写真は二度目の参拝時(平成27年11月)のもの。
鶴ヶ池は稲村神社の近く「天神谷津の美田」と呼ばれているあたりだったと思います。

「怪異の民俗学7・異人、生贄 河出書房新社

を参考に私見で感想

「人柱」というのは、村落共同体を救うために自ら、または相談したり、通りかかった余所者の娘だったり、時には言い出したものの娘が「人柱」となり 結果、自然災害を回避できたり、造建築が上手くいく。
しかし、祟りや怪異などがあり、人柱となった者を「神」として祀る。

多いのは「余所者」「若い娘」「母と子」
「ツル、サヨ、マツ、イチ」という名前。
娘たちはみな神に仕える身で、巫女的性質を持つ、母子は母子信仰と結びつくと。

何かを願い、成功させるためにはその代償と、身代わり、犠牲が必要で穢れを払う必要から「巫女」天気の子では「天気の巫女」でしたね、巫女が選ばれるとなるらしいです。

と、書く一方で「鶴市(つるいち)」「マツラ」が建築工法の名称だった、「サヨ」は防ぐ、塞ノ神と同じくサエギルの意味で堰く事だと書いてます。
水沢の佐用姫伝説をあげて、建築工法、防水工法が「擬人化」されたものではないかとも書いてます。

結局、人柱や人身御供が実際にあったことではないと言っている訳ではなさそうですが、なんだかしっくりこなかった。
人身御供最古の伝承として「仁徳天皇」の記事をあげ、一方の男は生贄になり、瓢箪が沈まなかった方の男は生贄にならずにすんだから、生贄はあってもなくても構わない事を語っていると書いてて。
だから堤を築くのに生贄を捧げるという起源譚で、だから生贄はいなくなったという起源譚という矛盾だという。

片方が死んで、片方は無事だったというところに、風土記にみる道行く人の半数を殺して、半数を見逃す話しを思い出すので、私としては、あってもなくても構わないのでは無く「境界」「堺」と関係してて「占、卦」もありの、生贄は必要だったのだと思いました。

この信仰でにょろ子は、こう思うニョロ

長々になってしまいましたし「天気の子」はどこいった~ですが
伝承が残って、明らかになってるものはほんの一部分だと思いますが、「人柱」にされた方の供養塔や、神として祀られている事から、神の御業と考えていた自然災害や、人が造る物の成功の為の人身御供、人柱とされた話は、全てではないにしても実際にあったことだとわたしは思いますニョロ🐍

なので、もしそんな供養塔、石塔、祠など見かけたら手を合わせてみましょう。
今の時代の日本は、人柱なんて映画の中でしかありません、ありがとうございますと。
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生贄と人柱の民俗学 (歴史民俗学資料叢書) [ 礫川全次 ]

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