にょろ子ログ

神社に伝わる伝承、伝説、民間信仰、祭りが好物な蛇🐍

「藤不動尊」人形(ヒトガタ)手形、足形に込められた願い

はい、にょろ子です🐍🎀

今年7月に参拝させていただいた

群馬県の藤不動尊を書きたいと思います、Twitterではチョロっと載せました。
(すいません、アイキャッチ画像を取り替えてもSNSで反映されなかったので再投稿しました💦)

でもあれよ、やはり私には情報発信系のブログ「みなっさ~ん、こんにちは~」みたいな語りかけ口調は無理みたいニョロ🐍💦

Twitterのような独り言モードの方が性に合ってるみたい💦

 

では「藤滝不動尊」を
入り口は見つけにくいです、一度通り過ぎて地元の方にお聞きしました(また)

「若いのに偉いわね~(絶対に若くはないですが、その方よりは若い…🐍アハハ)最近はお参りしてないわ~っておっしゃっていた、その節はありがとうございましたm(*_ _)m

 

奉納された石の柱が目印になります。


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左手に沢が流れているので沢伝いに上ると、右に「正一位稲荷大明神の扁額がある鳥居があります。

わりと彫りが深いお狐さまがいらっしゃいます、静かに手を合わせる。


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石段を上っていくと「不動明王」様を祀る本堂⬇が見えてきます、不動明王真言(ノーマク サマンダ バザラダン…」を唱え手を合わせる。

人間が悪の道に引きずり込まれるのを打ち払ってくれ、健康祈願や病気平癒、怪我回復のお力もあるそうです。

私がデブ蛇🐍の道へ引きずり込まれる(みずから行く)のも打ち払っていただけますかね🐍💦


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境内は人っ子一人いなくて静かなのですが、本堂の上を高架道路(122号線)がはしってる

時代が交差しているような、何だか不思議な感じ。

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お堂の右側の石段を行くと間もなく、人形(ヒトガタ)や手形、足型、草鞋、蓑笠、など金属板が多数奉納されているのが見えてきます、赤い手首もあったり。

 

痛いところや、悪い部分の金属板に名前などが書かれていました、祈願の時や、成就の折に奉納したのでしょうね。

不気味じゃないと言えば嘘になるけど、奉納されたものは、自然災害も病気も神の御心次第と思っていた時代からの信仰の跡で、現在信仰中で、ちゃんと感謝の気持ちなので、怖くはないです。



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そこからまた少し上ると、不動滝である「藤瀧」が現れます、滝の音が心地よい。

岩に穿かれた穴に不動明王様がおられた、こちらが「藤瀧不動奥の院」になります。


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お花や不動剣を供える方がいらっしゃるんですね、信仰は生きている。


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こんな風景を見るのが好きな🐍です、なので奉納物が大好物なのですニョロ🐍




 はい、今回は、短めに終わりニョロ🐍

ブログも、まったりマイペースで書いていきます。

 

皆さんに行ってほしいとかそんなんじゃなくて…ああなんて書けばいいのか分から💦

 
にょろ子はこう思うニョロ🐍

詳しい事を書いたら、わっさわさ人が来すぎてしまうかもとか、ひっそりとある信仰の場所や、ひっそりと行っている祀りを壊したくないとも思ってしまう。

こんなブログじゃわっさわさ来ないけど💦

 
でも続いてほしい、なくなって欲しくないから知ってほしいし、でも私は知りたいし、の葛藤。いつもそう。終わりぐだぐだで終わりニョロ🐍
あとTwitterにも書きましたが、昔からの信仰の場を珍スポット、B級スポットと言うのは違うと思う。

詳しい場所は各個人で調べてくださいニョロ、情報発信系じゃなくてごめんなさいニョロ🐍💦

 
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2019・タバンカ祭り「白裝束の炎舞」

こんにちは、にょろ子です🐍🎀


初ブログの時に紹介しました、

大宝八幡宮「タバンカ祭り」今度は今年のを紹介

祭りのおこりは、大宝院別当坊「賢了院」が出火した時に、畳と鍋蓋で火を消し止めた故事からで、畳を叩きつける時の「バタン!バタン!」という音がする事から「タバンカ祭り」と呼ばれるようになったとか。


毎年9月12日と14日の夜に行われていますが、来年からは九月の第一土曜、一夜のみになりますお間違えなく🐍
今年は12日の木曜日の昼と夜にお邪魔しました。

昼の様子
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大宝八幡宮

御祭神︰仲哀天皇応神天皇神功皇后

白鳳時代の末期、文武天皇大宝元年(701)に「藤原時忠」が、常陸国河内郡へ下向の時、筑紫(大分県宇佐市)の宇佐八幡宮を勧請し創建されたと伝わる、関東最古の八幡宮なのだそうです。
大宝は年号に由来すると書かれていました。

ここでこの「藤原時忠」なのですが、藤原氏の系譜には見えない御名前で謎のお方なのです。
「時忠」で調べると「染屋時忠」中臣鎌足の玄孫で、関東八カ国の総追捕使で鎌倉に居住して東夷を鎮めた方が上がるのですが、姓は漆部氏なのですね。
大国主命少彦名命は、本社が創建される前に当地の地主の神として祀られていた神で、今は社殿東の「黒鳥神社」にお祀りされております。
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大宝八幡宮常陸国風土記に載る幻の湖「鳥羽の淡海」に囲まれた台地に鎮座していて、このあたりは「大宝沼」に突き出した三方を断崖に面した要害の地で「大宝城」が築かれていました。

大宝八幡宮之景」

お土産、お食事の門前のお店「えびす屋」さんに飾られています。
三の鳥居、二の鳥居、一の鳥居の順だったようです、昔は屋根がたくさん連なってたんですね。
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こちらの「厄除け団子」は柔らかくて最高に美味しいです、来られた際は是非買ってくださいニョロ🐍
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長くなってしまうので、いい加減に

「タバンカ祭り」を…

この祭は別名「冬瓜まつり」とも呼ばれるように冬瓜を神前に供えます、祝詞奏上の後、御神前に巴型に並べられた畳、鍋ぶたの上の土器(かわらけ)に御飯と冬瓜が盛ってあるそう。
玉串拝礼の後、八幡太鼓の音に乗って祭の所役である白装束の氏子高校生男子、7名が畳に乗った鍋ぶた、土器を持ち拝殿から出てきました。
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その直後、なんの予告もなしに拝殿前にほうり投げる。カワラケを拾った人は病気をしないといわれて居るので、今年もちゃっかり拾いましたニョロ🐍


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拝殿前に備えられた二本の大松明に火を付け、燃え盛る炎をものともせず男子高校生は参道を隋神門の方へ進みます。
この時も、八幡太鼓が鳴り響き厳かな雰囲気を醸し出していました。

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隋神門前まで来ると、さっそくほかの松明に火を移し、見物客の前を二本の松明を振り、走り回ります。この間、畳を叩きつけているので、ずっとバタン!バタン!という音が響いてます。
合間に鍋蓋コロコロ〜。
鍋蓋でほんとに火を消し止めたのですかね?💦
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ほとんどが、近所の人なので皆顔なじみ、通学班で一緒に登校した子達を見つけると、近くで松明を振っては歓声を上げさせ、喜ばせていました。
火の粉を浴びると、災いを退けると云われているんです。
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3回ほど繰り返されますが、年少の子供達の「度胸試し」も見ものですよ、何回も飛びに来る子、ドキドキしながらやっとチャレンジしに来る子。
それでもこの子達も、高校生になったら、あのかっこいい白装束の所役になるのね。
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○アクセス:関東鉄道常総線大宝駅り徒歩3分

駐車場は、鳥居前のえびす屋さん、大宝幼稚園に停められます。
大宝幼稚園駐車場はわりと空いてますよ


このお祭りを毎年見てて、

にょろ子はこう思うニョロ🐍🎀

今でこそ「タバンカ祭り」は、奇祭、火祭りと注目されていますが
「大宝まち、で〜ほーまぢ」と呼ばれ、サーカスまで来ていた賑やかな頃に比べ、下火になっていた時期もあったそう。
こちらのお祭りは、氏子さん達も一生懸命で、いつ来ても和やかな雰囲気なところがほっこりしますが、
来年からは、第一土曜日だけの一夜だけの斎行になるそうです。
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普段は学校で目立たない、おとなしめの男の子が、祭りの時だけはカッコよく見えて、
学校での見る目も変わったのを思い出すニョロ🐍
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地元に伝わる祭りは、少子高齢化もあって存続が難しいものもあります。
女の子に見直して貰えるかもなので、白装束に(祭りの演者側)になってみませんか?きっと素敵になれますよニョロ🐍


【中古】ニッポンの奇祭 / 小林紀晴

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まつろわぬ英雄「悪路王」

こんにちは、にょろ子です🐍🎀

ブログ初心者は、一記事書くのもアップアップニョロ💦

 さて、今回は蝦夷の首長と云われる「悪路王」についてちらりと書いてみます。

 

 

 

鹿島神社

茨城県城里町桂地区(旧東茨城郡桂村高久)

延暦年間(797)に征夷大将軍に任じられた坂上田村麻呂が、北征の折、武運を鹿島神社に祈り、蝦夷の首長と戦うこと5年、ついに住処である達谷窟(高久鹿島神社縁起では平泉ではなく下野)”で「悪路王」を誅し、凱旋の途中にふたたび鹿島神社に立ち寄り、戦勝を感謝するとともに、本社前の「休塚」に首級(最初は本物でミイラだったと伝わる)を納めたものが神宝として存在している。

(「悪路王の首」は鹿島神宮にもある)

※写真は、2014年5月参拝時撮影のものです


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「悪路王頭形」

水戸藩主、徳川光圀(水戸黄門)が家来に命じて修理させた記録が残ってる。

「悪路王頭形久敗朽 今新彩飾 安坐常州高久村安塚之社中 元禄癸酉六年 源 光国」

なので、少なくとも江戸時代初期にはこちらの神社に祀られていたのが分かるのだとか。f:id:nyorokolog:20190915104844j:image



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古老の説に坂上田村丸”奥州の悪羅王を誅罰し帰京の時、此塚に休ひし所也。故に「やす塚」と云う。又、高久村休塚明神あり(水府資料)

義公奉納「悪羅王」の頭形ありとあるそうで(桂村史)には、悪路王を悪羅王と「茨城の史跡と伝説」には「悪来王」とも書くとありました。

 

現在は模型(レプリカ)が安置され、本物は茨城県立歴史博物館に預けられているそうで、一般公開はしていない、館員の方もあまりの迫力にその頭形を見るのが怖いと言ってるとか(四門の謎を解く・荒俣宏著より)

 

本殿彫刻

廃寺となった吉祥院のもの、中国の故事が再現されているそうで色も鮮やかで雨の日に生えていた。

※写真は2014年5月参拝時撮影です
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「休(やす)塚明神」尊称につきましては

茨城県神社誌」高久の鹿島神社は、「大神」「当地方平定」のとき、ここに休んだことによるらしいです。

ということは、坂上田村麻呂が祈願したときは「休塚」は存在していたと考えられ、では、その休まれた「大神」とはどちらの神なのか…

 

この高久の鹿島神社より南のゴルフ場のむこうに、古内の鹿島神社がありまして、興味深いお話が伝わってます。

鹿島大明神は、奥州塩釜から〈金の鷲〉に乗って初めて常陸国に来られたが、その天降られた地が「常陸国中郡古内山」であるといい、鹿島大明神天津児屋根命、金鷲に駕して常陸国へ天降りつつ古内山の旧跡「鹿島の里」に顕わる。その後、国中を巡り、鹿島郡宮処に御在所を定む。(茨城の史跡と伝説・茨城新聞社より)

 

鹿島の神が奥州塩釜から降りたと書かれている事が、気になりますね。

 

そして、その間の近くに、常陸国二宮の静神社の本宮と伝えられている「笠宮」が合祀されている「小坂神社」がある。



はにわ on Twitter: "笠宮・飯野宮・熊野の三社が合祀し小坂神社となった神社で笠宮が静神社の本宮、元宮と云われてるのを知りこちらにも御挨拶に伺いました。御祭神は天手力雄命。鳥居は見当たらず正面に参道はありませんでした。【 城里町・小坂神社】… "

 

 

同じく東の鹿島神社には、武甕槌命が木の根につまずいた伝承や、あの星神「天香香背男(天津甕星神)」様一族との最前線地区で激戦区だったと伝えられている。

静神社の本宮があるのも、坂上田村麻呂さんが武運を祈願するのも納得な感じですニョロ🐍

 

あとにょろ子が気になったのは「鹿島の里」と「此の地平定のため」という文。

このあたりが、鹿島神宮造営の為の木材供給場所だったことを以前受けた講習で聞いた、鹿島の里と呼ばれた所以はこのことと関係するのかな。

 

これらの話を読むと、最初に高久へ来て休息をとった大神とは、鹿島大明神武甕槌命)と想像しちゃいますが、坂上田村麻呂さんが休んだから休(やす)塚と云う伝承もあったりでわけわからんニョロ。

ただ、角川寅吉「茨城県における古墳の分布」には「古墳・安塚と云う」と記してあるそうで、古くからいわくありな土地で有ることは確かなのだと思う。

 

ちょっとのつもりが長々になってしまいました、阿弖流為と同一視されたり、伝承が混同されていたりとややこしいので、阿弖流為はここでは考えない事にして、

 

にょろ子は、こう思うニョロ🐍

鹿島神社が鎮座する場所は、古代の紛争の境界線だった説に一票ニョロ、鹿島神は人形道祖神の鹿島様にあるような境界神の神格があると思う。

 

常陸国は夷狄討伐の最前線基地で、まつろう者と、まつろわぬ者の堺、境界の地だった、高久から約11km東に位置する「瓜連(うりずら)」は、常陸国二宮「静神社」が鎮座する「天津甕星香香背男様を服従させた「建葉鎚命」を祀る重要な土地。

 

瓜がアイヌ語の丘を、連は大和言葉で、アイヌ語大和言葉の合成語だと言うし、佐伯や土蜘蛛、蝦夷や鬼の伝承もあって、9km先の那珂川を渡った先には「佐伯神社」も鎮座している。↓

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朝廷側から見たら、残虐な鬼、悪、夷狄の首魁といわれた彼らにも、家族や愛するものがいましたし、慕い頼りにしていた民衆もいたんですよね。

ここ桂村では悪路王を悪路王様と呼び、神として崇め、虫干し祭りと称してこの祭りの時だけ開帳を行っていたそう。

悪路王は達谷窟で仕留められましたが、このあたりは先住民の色が濃い地域だったことを思えば、同輩意識も根底にあったとも妄想してしまうニョロ🐍💦

 

平将門公同様に地元では人気があり、慕われていた鬼さんなので怖くはなかったです。

世が世ならば、あなたは英雄になったのかもしれないです、と手を合わせました。

 

「天気の子」人柱になった人々を思う

こんばんは、にょろ子ですニョロ🐍🎀

にょろ子も映画「天気の子」を見ましたニョロ

陽菜は天気の巫女で
天気を操り、晴れにする「晴れ女」その代償は
「人柱」となって消える運命。
その運命を変えるために帆高は·····。
というストーリーでしたね。

ここでその「人柱」とは…

河川、池、沼などの堤防、お城、橋、城など大規模な工事で労力を必要とする時に、自然災害(大雨、洪水、土砂崩れ)などで破壊されないよう、工事が無事に終わるようにと、土地の人々が皆で相談したり、神託を受けたりして、神に捧げる生贄(人身御供)を決め、白羽の矢が立てられた人は、生きたまま川や沼、池に投げ込まれたり、洪水を防ぐために水に沈められたり、地盤を強固なものにするために、土中に生き埋めにされたりする風習。


にょろ子は、この「人柱」や「人身御供」「生贄」に前から興味がありまして、伝承の地を尋ねたりしていました。
今日はそのうちの三ヶ所と、常陸太田市史から一ヶ所を紹介します。

常総市安楽寺境内(お伽羅の供養塔)】

昔、幾日も雨が続き鬼怒川が増水しそうになったので「人柱」を立てることになりました。
村の人々は巡礼の途中で母をなくし、天涯孤独となったお伽羅を「人柱」に選び、水の中に投げ込んでしまいました。
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その後雨は止み、村は助かりましたが、川から泣き声が聞こえたり疫病が流行ったりしたことから人々は安楽寺に供養塔を建て、お伽羅の霊を慰めました。
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自然の猛威を神の御業と思っていた時代の悲しい伝説、越後から はるばる この地に辿り着き、「人柱」となった娘はどんな思いで今の世をを見てるのでしょうか。

阿見町・弁天の祠】

ある年の大水で村人たちが困っていると、巡礼の娘が水を引かせる為に、自ら「人柱」となること願い出て、堤を築く難工事が無事に完了した。
実は娘は実は弁天の化身だった。
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書いてある通り、ここは清明川がほぼ直角に流れ霞ヶ浦に注いでる土地。
池ノ辺の古名が示す通り、むかしは大きな池があり、通過の難所で大雨が降っては たびたび洪水を起こすところだったようです。
自ら「人柱」となった伝承は他にも見た事がありますが、村人達の自責の念みたいなものを感じます。

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今は田んぼの中にぽつんと弁天の祠、静かに手を合わせました。

大宝八幡宮・ひとつもの神事】

むかしむかし大宝沼に大きな白蛇が住んでいました。秋になると、白蛇が大宝近郊の家の屋根に白羽の矢を立てます。するとその家では、娘を白蛇に差し出さなければなりません。差し出さなければ、白蛇の怒りにふれ、大嵐大洪水が起こり、農作物が穫れなくなります。そこで、近郊の人々が集まって考えた末「一つ目のわら人形」を作って白蛇に差し出す事にしました。それを見た白蛇は、恐ろしがって大宝沼から逃げ出しました。その後村々は豊かな稔りが続き、人身御供は無くなりました。

大宝沼は田園と住宅へと姿を変え、大宝沼のあった所に流れている「糸繰川」に「一つ目の藁人形」を流しています。
大宝八幡宮の「ひとつもの神事」
一つ目の藁人形、今は糸繰り川へ流す↓
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万葉集にも歌われた鳥羽の淡海とは 今は無き湖で、大宝沼、小貝川、鬼怒川と大きな湖沼と湿地帯を形成していました。
そのためたびたび洪水がおこり、龍神、水神への信仰が盛んになったのだと思います🐍

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常陸太田市・天神林(鶴ヶ池)⠀】

この地は度々堤が決壊するので、村人は相談して「人柱」を埋めることにした。おりよく旅の「お鶴」というものが通りかかったのでその者を「人柱」にした。そこで「鶴ヶ池」という名がついたと伝えられている。その後はどんなに洪水がおきてもこの池の堤は壊れることがなかったといわれている。
また、このあたりは魚、蛙などがたくさんいて、江戸時代はじめころのこと、この池のあたりに孝行者がいた、
当時、鶴の捕獲は禁じられていたがこの孝行者は鶴を捕らえて病気の親にその生き血を与えた。
当然、本人はもちろん家族や親類縁者まで処罰を受けるところだったが、義公はその者の親孝行に感じて許してやったと言われている。常陸太田市史よりー


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↑佐竹寺
15年前に稲村神社や、佐竹寺にお参りした際、神社向こうの田園地帯が、常陸国風土記に載る「堤を造りて池をつくりき」じゃないかと気になったもので、次の日に常陸太田市役所に電話してしまった。
確かにそのあたりに池があったようですとおっしゃっていた。あのときは突然変なことを聞いてすみません🐍💦
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↑稲村神社
写真は二度目の参拝時(平成27年11月)のもの。
鶴ヶ池は稲村神社の近く「天神谷津の美田」と呼ばれているあたりだったと思います。

「怪異の民俗学7・異人、生贄 河出書房新社

を参考に私見で感想

「人柱」というのは、村落共同体を救うために自ら、または相談したり、通りかかった余所者の娘だったり、時には言い出したものの娘が「人柱」となり 結果、自然災害を回避できたり、造建築が上手くいく。
しかし、祟りや怪異などがあり、人柱となった者を「神」として祀る。

多いのは「余所者」「若い娘」「母と子」
「ツル、サヨ、マツ、イチ」という名前。
娘たちはみな神に仕える身で、巫女的性質を持つ、母子は母子信仰と結びつくと。

何かを願い、成功させるためにはその代償と、身代わり、犠牲が必要で穢れを払う必要から「巫女」天気の子では「天気の巫女」でしたね、巫女が選ばれるとなるらしいです。

と、書く一方で「鶴市(つるいち)」「マツラ」が建築工法の名称だった、「サヨ」は防ぐ、塞ノ神と同じくサエギルの意味で堰く事だと書いてます。
水沢の佐用姫伝説をあげて、建築工法、防水工法が「擬人化」されたものではないかとも書いてます。

結局、人柱や人身御供が実際にあったことではないと言っている訳ではなさそうですが、なんだかしっくりこなかった。
人身御供最古の伝承として「仁徳天皇」の記事をあげ、一方の男は生贄になり、瓢箪が沈まなかった方の男は生贄にならずにすんだから、生贄はあってもなくても構わない事を語っていると書いてて。
だから堤を築くのに生贄を捧げるという起源譚で、だから生贄はいなくなったという起源譚という矛盾だという。

片方が死んで、片方は無事だったというところに、風土記にみる道行く人の半数を殺して、半数を見逃す話しを思い出すので、私としては、あってもなくても構わないのでは無く「境界」「堺」と関係してて「占、卦」もありの、生贄は必要だったのだと思いました。

この信仰でにょろ子は、こう思うニョロ

長々になってしまいましたし「天気の子」はどこいった~ですが
伝承が残って、明らかになってるものはほんの一部分だと思いますが、「人柱」にされた方の供養塔や、神として祀られている事から、神の御業と考えていた自然災害や、人が造る物の成功の為の人身御供、人柱とされた話は、全てではないにしても実際にあったことだとわたしは思いますニョロ🐍

なので、もしそんな供養塔、石塔、祠など見かけたら手を合わせてみましょう。
今の時代の日本は、人柱なんて映画の中でしかありません、ありがとうございますと。
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生贄と人柱の民俗学 (歴史民俗学資料叢書) [ 礫川全次 ]

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伝説の巨人、だいだらぼっち(ダイダラボウ)

こんにちは、にょろ子です🐍🎀

やっぱり、ブログを毎日書くのは
無理みたいニョロ🐍
過去に訪れた神社、祭り、、民間行事、石塔、もちろん新しく行った所などをマイペースにアップしていきたいと思います。

はてなブログ」の使い方がよく分からなくて四苦八苦なので、Amazonでマニュアル本をポチッとしました〜蛇でも分かるように書いてありますかね💦


では投稿、第二弾♪


茨城県石岡市井関」に伝わる

民俗行事「ダイダラボッチ」をご紹介

江戸時代に天明の大飢饉が発生した際、疫病や災害等が村に入ってこないように「大人形」を集落の男衆で作り、地区の境(辻)に置くことで厄除けを祈願したと云われてます。
平成16年3月25日に無形民俗文化財に指定。


集落の人達によって、毎年 8月16日に藁や杉を使って作られ「代田」・「梶和崎」・「古酒」・「長者峰」他2地区の合計6つの地域で継承されていたのが、近年では作り手(作れる人)が減ったり、材料の調達も難しく続けて行くのが難しくなっているそうで、残念な事ですが、昨年に古酒、今年は梶和崎で作らなくなってしまい途絶えてしまったようです。
今年は、こちら⬇の御二方しか出会えませんでした⤵︎

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「代田」地区のだいだらぼっち↑


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「長者峰」地区のだいだらぼっち↑


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こちらは一昨年の「古酒」のだいだらぼっち↑



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こちらが昨年の「梶和崎」のだいだらぼっち↑



秋田の「鹿島さま」と同じような「人形道祖神」で、境界を守る塞ノ神的な信仰、蝦夷征討と関係する説、常陸国から秋田に移封になった佐竹氏が関係する説などが噂されてます。

「だいだらぼっち」の名称の由来

はっきりとした事は分かってないようです、今回紹介の地区名の一つ「代田」があるので、巨人伝説に関係するとの説がワクワクしますね。
茨城県にも巨人伝説は多く伝わっています、以下に少し↓


常陸国風土記:大櫛の丘の巨人が丘の上から手を伸ばしハマグリなどの貝を食べていた、その貝殻を捨てたところが今の「大串貝塚
「大串貝塚ふれあい公園」として整備されています巨大な「ダイダラボウ」さんが見下ろしてくれます。↓
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水戸市大足(おおだら):千波湖はダイダラボウの足跡(又はダイダラボウが作った沼)
日当たりが良くなるよう動かした山は「朝房山」で、常陸国風土記「努賀毗古(ぬかひこ)、努賀毗咩(ぬかひめ)のお話しにでてくる晡時臥山(くれふし山)の候補地。
「朝房山」↓
常陸国風土記の時代に思い馳せてみませんか?

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・そして最後に今回紹介の「代田地区」の話し
ダイダラボウが、筑波山と富士山の重さ比べをしようと思い、てんびん棒に筑波山と富士山を乗せると、ドスンと落ちて筑波山は二つ(二つ峰)になってしまったとさ🐍💦
この時の足跡が「代田地区」にあると云われ、この辺りは窪地なのだそうです。
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↑見えますかね💦
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↑ちょっと無理やり?💦

5月の田植え後の少しの間、逆さ筑波山が見られます
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麦の時期の筑波山
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もう1枚麦の時期の筑波山
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この信仰でにょろ子は、こう思うニョロ🐍

「だいだらぼっち」作るのを止めると決めたのは、実際にその集落に住む方たちです、作ることを決めたのも昔昔の集落の人達、おじいちゃんのそのまたおじいちゃんの代から続けて来た行事を終わらせるのは、断腸の思いだった方もいらっしゃるでしょう。


予防接種をすれば大体の疫病は防げ、食べるものにも苦労しない現代において、人形道祖神の信仰は自然な成り行きに任せるのも仕方ない事とは思いますが、願い、祈り、縋る事しか出来なかった、あの時代の人達の思いや、時代背景だけでも伝えて行けると良いなとか何も出来ないくせに、勝手に思っちゃいます。


茄子🍆に、性神信仰的な道祖神の様子を見るとことができます。恥ずかしがらずに直視しちゃって大丈夫、村の辻で怖い顔を作って 集落の入り口で睨みを利かせて頑張ってくださってます、感謝の言葉を伝えてみても良いかもニョロ🐍


「だいだらぼっち」さん達は1年間、境に置かれて村を守って、次の8月16日に役目を終えると燃やされてしまいます。

神社、祭り、民間信仰、古墳が好物のブログ初心者「にょろ子」の初投稿ニョロ🐍

ブログ初心者のにょろ子が

初投稿ですニョロ〜🐍

今までTwitterInstagramなどのSNSをぼちぼち投稿していただけだったのが、ブログをやってみようと思ったのは、過去の記事をいつでもサクッと見たい、保存したい、記念にしたいと思ったのががきっかけでした。

 

 

・とりあえず簡単なプロフィール🐍

 神社、古代、伝説、伝承、民間信仰、祭り、祀り、に興味津々の茨城県に生息中のメス蛇

 活動地域は、茨城県、栃木県、千葉県(県北)、群馬県(県東)、埼玉県

 

・好きになったきっかけ🐍

 父親の本棚からくすねてきた「常陸国風土記の史的概観・河野辰男著」

 これは、くすねたいと思ったきっかけがあったのでこれから書きたいと思います。

 

・思い返せば…🐍

 当時、ティーンズや若い女性に人気あった、コバルト文庫から出版されていた

 氷室冴子さんのファンタジー小説銀の海 金の大地」にドハマリし、真秀や真澄などの登場人物たちに思いを馳せるようになり、丹波の美知主(道主命)、和邇の日子坐王(彦坐王)らが古墳時代に実在すると知り、古代関連の本(安いの)を読み漁ったり古墳や神社に興味が出できたのがきっかけでした。それでくすね…(・・;

 

 

・と、いうことで(?)記念すべき第一投稿🐍

9月12日(木)、9月14日(土)に行われる、茨城県下妻市大宝八幡宮 タバンカ祭り」を紹介(写真は2016年、2017年のものです。

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大宝八幡宮・タバンカ祭り】

1370年に大宝寺賢が出火した際に、畳と鍋蓋で火を消した故事を再現した火祭り。

近年は「奇祭」として取り上げられることもありますね。

 

巴形に並べられた畳上に鍋蓋、その上に土器(かわらけ、神具である皿)に冬瓜とご飯を入れ神前に供え、玉串拝礼が終わると八幡太鼓の音と共に白裝束の青年7人が畳とその上の鍋蓋と土器ごと放り投げます。茨城弁だと「ぶんなげる」ですね。

運良く土器を拾えた人は幸運です、病気をしないようになると云われているニョロよー。

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 今年も行く予定なので、とりあえず今回はざっくりと。

 

※写真のロゴが見切れてますが、Twitterのアカウント名を切り取ったからです、全てにょろ子🐍🎀が撮ったものです。

 

※2020年からは第一土曜日の1夜のみになるそうです。

 

大宝八幡宮HPは→こちらから

大宝八幡宮御朱印は、こちらのサイトさんが見やすいですし、その他の情報も詳しく書かれています。

 

最近の御朱印ブームは凄いですね、アーティスティックなものから、可愛いデザインのもの。惹かれてしまうのも無理もない事ですし、寂れそうな神社さんに活気が戻り少しでも存続の助けになるのならと思い いただいてますが、神社さん側に迷惑な行為や、オークションで売ったりなどは言語道断ですね。

 

御朱印は、必ず神社に敬意を払い畏怖の念を持って感謝の意を伝え、お参りしたあとにご縁となりましたらいただく事にしてます。

そのペースなのと、御朱印がない神社さんや伝承地などを訪れる方が多いので、御朱印情報につきましては、このブログは当てにしない方が良いと思います。

 

こんな感じで、神社、祭り、民間信仰、古墳、伝説、伝承などを皆さんのブログを読んで勉強しつつ、マイペースで書いて行きたいと思います。

 

ブログの事はチンプンカンプン(死語)なので、行き届かないところが多々あるかと思いますが、よろしくお願いしますニョロ~🐍

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